呼吸は”する”ものではなく、通すもの?

呼吸をしよう!しよう!

と思っているときって

なかなか深く呼吸が出来ないんです。

逆に、体の力が上手く抜けているときに

深く呼吸がお腹のそこまで入ってきます。

そんなことを

アシュタンガの練習の中で

最近よく感じます。

呼吸をしてやる

という感覚は

横暴なのかもしれないな

なんて感じていたりします。

変な言い方ですが

呼吸を迎えるために体の準備をすれば

呼吸は気持ちよく通ってくれます。

もしかしたら

自分に出来るのは

呼吸をすることではなく

呼吸を迎えるための体の調整なのかもしれない

なんて思うのです。

例えば、アーサナの呼吸で

浅い呼吸になる時

つまり

お腹の底まで呼吸が通っていない

と感じる時って

だいたい、どこかに力みがあります。

必要ではない筋肉が作動しているのです。

その時って

恐らく、体の軸がずれています。

逆に、深く呼吸が通る時は

バンダがしっかり使え、

呼吸の道を通す為に必要な体幹部

の必要最低限の力だけを使い

他の部分は力が抜けています。

その状態の時は

呼吸をしようとしなくても

自然な呼吸で深く入ります。

いうなれば

呼吸を上手にお迎え出来ている状態 笑

そんな状態の時

呼吸は体を助けてもくれます。

力みなく、上手く呼吸をお迎え出来れば

その呼吸が

体を開く(伸ばす)お手伝いをしてくれるし

体を運んでくれたりもします。

そういった状態だと、逆転のポーズでも

力がほとんど要りません。

深い後屈をしても

しっかり呼吸が通ると

体がものすごく開く感じがします。

特に、鼠径部(足の付け根)。

鼠径部って屈折する動きを

イメージするかもしれませんが

後屈系の動きでは、開く(伸ばす)のです。

鼠径部が上手く開くと胸が開き

肩回りの力が抜けて深い後屈が出来

更に

呼吸も深く入るようになります。

こんな風に

呼吸を上手にお迎え出来れば

呼吸は体を動かすお手伝いをしてくれます。

そして、それをするためには

体と呼吸をよく観察する意識が必要です。

ヨガをしていなければ

きっと私は

呼吸と体の繋がりに意識を向ける事なんて

なかったと思います。

全てがばらばらであったとしても

それに気づきもしなかったと思います。

体も呼吸も、自分(意識)のものだと

思っていたと思います。

でも、実際

アーサナの練習をして

体と呼吸を観察していくと

体に気持ちよく動いてもらうために

呼吸が深く通ってくれるために

きちんと調整をしなくてはいけない

そういう制御をするのが意識の役割なのかな

そんな繋がりを感じたりするのです。

練習をするたび

色んな発見があって

面白いです。