大変残念ですが

コロナウィルス拡散防止対策で

施設が閉館となるため

3月中のレッスンはすべてお休みとなります。

尚、4月から再開予定ですが

場合によっては延期になる可能性もあります。

ご迷惑おかけしますが

ご理解とご了承のほどよろしくお願いします。

また、みんさんとヨガが出来るのを

楽しみにしておりますので

再開の折にはどうぞよろしくお願いします。

シャバーサナ(屍のポーズ)

というアーサナがあります。

ヨガが目指す最終目的は

サマディ(三昧)

という境地なのですが

このポーズはそこに繋がる練習でもあります。

昔、ヨガを始めたばかりの時に

この話を聴き

こんな風に心安らかに

最期を迎えることが出来たら

どんなにいいだろうか

と思いました。

最期のひと呼吸まで

ちゃんと自分で呼吸をして

静かな、静かな

波ひとつない

どこまでも広がる水面のような

落ち着いた心で

迎え来る光を待つ。

そして、ともに旅立つ。

そんな風に

この世界での最期を迎え

次の旅立ちが出来たら

どんなに前向きな死であろうか

と思いました。

それは、今でも変わりません。

そして、

今やっている

自分との向き合い

ヨガの練習

そして、ヨガ哲学の勉強

そのどれもを

絶え間なく、最後まで続けていけば

そんなことも出来るのではないか

と思っています。

最期を迎えるという事に

漠然とした恐怖心や

後悔、寂しさ

といったネガティブなイメージがあったのですが

そう考えると

自分のやったことの集大成が

そこに現れるような楽しみもあります。

どんな形の最期を迎えるかはわかりません。

ですが

どんな形であっても

恐怖でも、後悔でもなく

ただ、安らかな気持ちで

その時を迎えられたら

と思います。

これは、私のやりたいことの一つでもあり

また、最後まで目指し続けるものでもあります。

最近

ヨガ哲学を学びだして

ダルマ(今生での義務)

カルマ(今生の行い)

という概念を意識して動いています。

目の前にある

自分に与えられた、やるべきこと=ダルマ

をきちんとやり遂げていく=カルマ

それが輪廻転生であれば

来世の生まれに繋がるそうです。

もし、生まれ変わりがなかったとしても

先ほど書いたように

最期に安らかで居られたら

それでもいいのではないかと思ってもいます。

最期を迎えるためのヨガ

それは

最後まで、生きる尊厳を守る事でもあります。

そんなヨガをやってみたいなと。

。。。まだ、何の構想もあませんが。

最期が近い時にイライラしたり

悲しみに暮れていると

本人も、周りの人も

とても苦しい。

もし、最後の最後まで

安らかで居られたら

本人だけではなく、

きっと周りの人も救われるのではないでしょうか?

一人きりだとしても

なされるがままの最期を迎えるのではなく

きちんと最後の支度をして旅立つことも出来るかもしれません。

そのために。。。

もっとヨガ哲学の勉強もしたいし

ヨガの勉強も

心理学も

まだまだ、ダルマが山積みかもしれませんね。

。。。いつか、そんなこともやれるように。

やれば、やるほど

やりたいことは広がっていきますね。

これは、ダルマでしょうか?

それとも、欲でしょうか?

それも、やってみたないと

分かりませんね 笑

日々、私たちは

人や社会にもまれて

体も心もへとへとです。

頭の中は

考え事であふれかえり

体は力み、呼吸が浅いために

体の隅々まで

十分に酸素がいきわたっていない状態です。

そうなれば

体は凝るし、詰まるし

硬くなっていきます。

そんな状態を

一週間に一度

リセット出来たら自分の頭と体、心を助けてあげることが出来ます。

体は、自分の魂が住んでいる

大切な家です。

家は清潔であれば、そこに住む人=自分の心も

健やかであることが出来ます。

だったらちゃんと

週に一度はお掃除したいですよね。

でも、その掃除の仕方がなかなか分からないのが

現代に生きる私たちなのだと思います。

その助けになるのが

ヨガというアイテムです。

例えば、瞑想が良い

というのを聴いて

試したことがある人もいると思います。

でも、実際は

雑念が浮かびますよね

その雑念をどう制御していいのかが

なかなかわからない

ということも多いと思います。

ですが、

ヨガでしたら

雑念を消そうと必死にならなくても

自分の体と、呼吸、バンダを意識して動くだけで

自然と集中できる時間が作れます。

その結果、気が付いてみれば

雑念が消えて、頭がからっぽになっていた

という感じです。

これは瞑想と同じ状態です。

しかも、ヨガであれば

呼吸をしてしっかり体を動かすので

血流が良くなり、体自体も軽くなります。

ヨガをやれば

体も頭も同時にお掃除が出来るんです。

その瞑想状態を味わうためには

体をどう扱うのかも重要です。

筋肉ではなく、バンダだけで

体を動かしていくこと。

これも、私自身が日々練習しいるので

お伝えすることが出来ます。

正しい体の使い方をすれば

肩や首

足や腕、腰など

に余計な負担を掛けずに

逆に緩ませながら使う事もできます。

それが出来ると

自然と呼吸も深くなります。

ヨガには、私たちが楽に生きれるための叡智が

溢れていると思います。

疑うことなく、受け入れることが出来れば

その恩恵は必ず受けられます。

本日、

2020年1月4日

年明け初めてのマイソールで

不意に、新しいポーズを頂くことになりました。

『ピンチャマユラーアーサナ』

何年も前の私だったら、飛び跳ねて喜んでいたと思います。

でも、正直今の心境は

ま、ま、まじですか~~~~><;

でした。

何故かというと、今練習しているラストポーズ

ティティバーサナA・B・C

がまだまだ自分の中で、掴み切れていないのです。

でも、頂いたからにはやるしかありません。

今までも、初めてのポーズは

感覚が解らずに、初めは形にもならないこともありました。

それでも、何度も繰り返して

なんとなく見えるものがあり

先生に助けてもらい、試行錯誤しながら

何をどうすればこのポーズが出来るのか?

体のどこを意識し、使えば

体は痛くないのか?

そんなことを探って、探って

出来ないポーズを出来るようにしてきました。

そのためには

太陽礼拝Aからの見直しも必要でした。

5年たって、アップドックのやり方に戻って

意識を変えて、やり方を変えていったら

今苦戦しているポーズも少しずつ改善されてきています。

これは、以前の私には

全くない感覚でした。

いつも前ばかり見て、あそこまで出来るようになりたい。

みんなは、どこまで進んでいるのか?

追いつかれたくない、負けたくない。

こんな感覚がありました。

だから、憧れのピンチャマユラーアーサナをもらったら

嬉しくて仕方なかったのだと思います。

でも、アシュタンガヨガの楽しみは

そういった、憧れのポーズを手に入れるとか

誰誰より、上手にできるとか

自分はここまで進んでいる

ということでは無いように今は感じています。

それよりも

太陽礼拝Aのアップドックからやり方を見直して

改善して

自分の行き詰っているアーサナに道が開けることの方が

今は、よっぽど楽しいのです。

そして、その感覚は

先生に助けて得られたものでもあるので

仲間が行き詰っているときには

シェアして、何かヒントにしてもらえたら

それもとても嬉しい。

一緒に練習する仲間は、競争相手ではなく

共感できる相手であったら

とても心が穏やかに練習に取り組めるのだと思います。

八支則の教えの

第一段階にある

サティヤ
自分にも人にも誠実であれ

アステーヤ
他人に対して、羨望や嫉妬の思いを抱かない

とは、こういう事なのかな。

何年練習していても、わからないことも、出来ないことも

たくさんあります。

でも、練習の中で

こうやって、見つけられることもたくさんあります。

そして、出来ることも。

そういった方に目を向けることが出来れば

足るを知ることができる。

そうなれば、練習はもっと楽しくなる。

今、そんな段階に居ます。