”Veda”(ヴェーダ)とは、サンスクリット語で「知る手段・知識の集合体」という意味の言葉です。
聖典という形で、オリジナルの教えがそれを伝える方法論や先生の伝統と共に、途絶えることなく伝わってきています。
ヴェーダは現在のインドに残る教えですが、その教えの本質はインドに固有のものではなく、時代や場所を超えて普遍の、人間が幸せに生きるための知識です。
その教えは、「サナータナ・ダルマ(永遠のダルマ)」と呼ばれ、かつては地球上のあらゆる文化に同じ教えがあったと言われます。
ヴェーダの教える宇宙観では、この宇宙全体がひとつの生命だと言われます。
そのたったひとつの生命、宇宙全体として生きる人が「イーシュワラ(司る者)」と呼ばれます。
すべての波は海から離れて存在していないように、この宇宙に生きとし生けるものは、全体イーシュワラの中に運ばれ、生かされています。
宇宙全体を支える法則として現れたイーシュワラは、「ダルマ(の法則)」と呼ばれます。
人は誰でも、幸せを求めて何かを得ようとしたり、何かになろうとしています。
けれど、何を得たとしても、「ダルマ」と呼ばれる宇宙の秩序・法則、つまりイーシュワラとの調和なしに安心や喜びは束の間です。
ヴェーダはまずその前半部分(カルマ・カーンダ=行いの章)で、「アヒムサー(傷つけないこと)」に代表されるダルマの価値や、ダルマと調和する生き方を私たちに教えます。
家庭や社会での日々の役割を通して、ダルマとの調和、イーシュワラとのハーモニーを選ぶ練習をし、心を成長させていく生き方のことを、「ヨーガ」と言います。
ヨーガの生き方は私たちに、全体の調和の中に生かされる安心感と共に、健全な自己尊厳と、混乱のないきれいな考えをもたらします。
誰もが本当に求めている人生のたった一つのゴール、「モークシャ」と呼ばれる自由は、行いの結果ではなく、「私とは何か」という、聖典ヴェーダが最後に教える知識によってかなう自由です。
その知識は、ヨーガの生き方で整ったヨーギーのきれいな考えに輝きます。
その考えは、いつでも全体イーシュワラを想える価値構造の整った考えです。
ヨーガは、モークシャのための心の成熟をもたらす準備であり、これまでの人生で身に付けてきた偏見・主観を手放し身軽になってゆく、喜びに満ちた生き方です。
「私はいったい何をしたいんだろう?」
「私はどこに向かっているのだろう?」
「私とは、何だろう?」
「私がある」ことは、誰に教えてもらう必要もなくそれ自身で明らかです。
けれど、その「私とは何か」が私に正しく知られていないため、心や体など「私でないもの」を私としてしまうことから、妄想や悲しみなど、あらゆる問題が生まれます。
自分自身の真実の探究がスピリチュアルな生き方です。
ヴェーダの明かす宇宙観、そしてモークシャをゴールとする、人間としての成熟のためのヨーガという生き方を学んでみませんか。
「パラムパラー」と呼ばれる教えの伝統の中で、先生から学んだ先生たちが残してくれたテキストを一緒に読みながら、少しずつヴェーダ、ヴェーダーンタの宇宙観をお伝えしていきます。