自由に感じて、探して欲しい

自分の現状を思い知り

今一度、勉強をし直す中で

最近、自分の中で一致してきたのが

正しいも、間違っているもない

結果が全てだ

ということです

これは、知識ではありましたし

口でいう事も出来ました

でも、自分の思いや考えがあると

やっぱり無意識に

正しいか、間違っているかを

自分の感覚で決めようとしてしまっていたな

と思います

そんな中

新たな気持ちで昨日はヨガレッスンをさせてもらいました

。。。とはいっても

新たなのは、私だけで

皆さんにとっては、今までと同じレッスンです 笑

いつものように

レッスンの前後で話をしてもらうのですが

昨日は、いつも以上にそれを楽しみにしていました

この新しい感覚で聴いたら

どんな世界が見えるのだろうか

。。と

恐らく、今までは

生徒さんの話を聴くけれども

私の中にある程度

こうだろう、こうした方が良い

という自分なりの正解を持っていたので

それと違う事を言われると

う”~~ん

という表情をしていたと思います

ですが昨日は

どんなやり方にしても

それで自分が心地よく感じるのであれば

つまり、自分にとっていい結果になるのであれば

それでいいんじゃないかな^^

ということを中心に聴いていました

自分で何かを発見して

それでいつもより、いい感じで出来た

という事であれば

それを続けてみてください

また何かそれで問題が起こればその時に

考えればいい

今の段階で私がそのやり方に

ああだこうだと評価をする必要がどこにもない

正しいか、間違っているかなんて

判断のしようがない

そんな感覚で聴くことが出来ました

そして、それをそのまま

生徒さんにもお伝えしました

成長したいと思っている人って

色々考えて、試して、探ろうと

自らすることが多いと思います

それを聴いてもらいたい

という気持ちは出てくるのが自然です

そこで、結果も見ずに

話を聴いただけで

それが正しいか、間違っているかなんて

誰も判断はできません

それは結果がすべて教えてくれます

そして、その結果を味わい考えるのも

またその本人です

私はただ、行き詰った時に

聞かれたら

自分が何か伝えられるものがあれば

伝えるし

分からなければ、一緒に考えて探します

ただ、共感して欲しい

後押しをして欲しいのであれば

それがいい方向に行くことであれば

いくらでも背中を押します

そんな役割なんだな

と感じました

私がでしゃばれば

生徒さんは、自由に感じて

自由に自分の感覚を探っていくことは出来ずに

自分が発見したこと

感じた事があっても

先生にはどう思われるのだろうか

と考えながらやることになってしまいます

これでは、とても窮屈ですよね

先生だから、何かを言わないと

教えないと

と意気込んでいたところがありましたが

先ほど書いたような感覚で居られたら

もっとゆったり、余裕を持って

みんなを見守ることが出来ると思います

そういう場は、温かい居心地のいい場所に

なっていくのだろうな

と今日の生徒さんの様子を見ながら

感じていました

まだまだ、これからですが

もっとみんなが、自由に自分と向き合って

色んな発見をして

自分に活かしてもらえるような場所にしていきたいです