最後まで生きる尊厳を守るためのヨガ

シャバーサナ(屍のポーズ)

というアーサナがあります。

ヨガが目指す最終目的は

サマディ(三昧)

という境地なのですが

このポーズはそこに繋がる練習でもあります。

昔、ヨガを始めたばかりの時に

この話を聴き

こんな風に心安らかに

最期を迎えることが出来たら

どんなにいいだろうか

と思いました。

最期のひと呼吸まで

ちゃんと自分で呼吸をして

静かな、静かな

波ひとつない

どこまでも広がる水面のような

落ち着いた心で

迎え来る光を待つ。

そして、ともに旅立つ。

そんな風に

この世界での最期を迎え

次の旅立ちが出来たら

どんなに前向きな死であろうか

と思いました。

それは、今でも変わりません。

そして、

今やっている

自分との向き合い

ヨガの練習

そして、ヨガ哲学の勉強

そのどれもを

絶え間なく、最後まで続けていけば

そんなことも出来るのではないか

と思っています。

最期を迎えるという事に

漠然とした恐怖心や

後悔、寂しさ

といったネガティブなイメージがあったのですが

そう考えると

自分のやったことの集大成が

そこに現れるような楽しみもあります。

どんな形の最期を迎えるかはわかりません。

ですが

どんな形であっても

恐怖でも、後悔でもなく

ただ、安らかな気持ちで

その時を迎えられたら

と思います。

これは、私のやりたいことの一つでもあり

また、最後まで目指し続けるものでもあります。

最近

ヨガ哲学を学びだして

ダルマ(今生での義務)

カルマ(今生の行い)

という概念を意識して動いています。

目の前にある

自分に与えられた、やるべきこと=ダルマ

をきちんとやり遂げていく=カルマ

それが輪廻転生であれば

来世の生まれに繋がるそうです。

もし、生まれ変わりがなかったとしても

先ほど書いたように

最期に安らかで居られたら

それでもいいのではないかと思ってもいます。

最期を迎えるためのヨガ

それは

最後まで、生きる尊厳を守る事でもあります。

そんなヨガをやってみたいなと。

。。。まだ、何の構想もあませんが。

最期が近い時にイライラしたり

悲しみに暮れていると

本人も、周りの人も

とても苦しい。

もし、最後の最後まで

安らかで居られたら

本人だけではなく、

きっと周りの人も救われるのではないでしょうか?

一人きりだとしても

なされるがままの最期を迎えるのではなく

きちんと最後の支度をして旅立つことも出来るかもしれません。

そのために。。。

もっとヨガ哲学の勉強もしたいし

ヨガの勉強も

心理学も

まだまだ、ダルマが山積みかもしれませんね。

。。。いつか、そんなこともやれるように。

やれば、やるほど

やりたいことは広がっていきますね。

これは、ダルマでしょうか?

それとも、欲でしょうか?

それも、やってみたないと

分かりませんね 笑