今回のお悩み相談は
絵美さん 30代 女性
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今、自分にはとてもやりたい事がありますが、
心のどこかで『それはやるべきではない』、『それはダメだ』
と言われているような感じが、いつもあります。
酷いときは、やった後の充実感と同等(時にはそれ以上)の罪悪感に襲われます。
多分これが原因かと、思い当たる部分があるのですが
以前、そのやりたい事を専門的に勉強したいと思って、
通信教育を受けようとしたことがありました。
それなりにお金もかかるものだったので、自分で出すと言っていたのですが、
母親は如何わしいと思ったのか、取り寄せた資料を取り上げ、
企業側に電話までしようとしました。必死で止めましたが…
その後しばらく『止める』と言うまで、
ものすごく汚いものを見るような目で見られ続けました。
それに耐えられなかったのと、改めてその企業の口コミとか経験者の話を
ネットで調べて、「そこまでして受けるものでもないかな…」
と思って、通信教育は止めました。
もちろん成人してからの話です。
それから後、この話を含む言い合いになった時、
怒鳴るように母親が言い放ちました。
「私だって、好きなことなんかさせてもらえやんかったんや!!!
途中で止めさせられたんや!!!」
(経済事情から、習い事をやめざるを得なかった話を、昔聞いたことがあります。)
それを聞いた時、どこか冷静な自分がいて、こう思っていました。
「…ふーん……それがこの人の本音か」
ただ、未成年の頃は、少なからず応援してくれるようなところもあったので、
正直なところ、とても混乱しています。
(成人してから、「いつ止めるの?いつ卒業するの?」と、
急に手のひらを返される感じになりました。)
他にも、習い事をしていた時(27~8歳の頃です)、
「先生にとても褒められた」と言うと
「先生は気を使って言ってくれてるだけだ。(だから真に受けないほうがいい)」
などという過小評価するような発言をされたこともあります。
こういった『子供のやりたい事を心から応援できない』
(時には力づくでやめさせようとする)のも、“人格否定”に入るのでしょうか?
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今回は、絵美さんに対する母親の言動が
どのように作用して
今の絵美さんの感覚に繋がるのか?
というのを丁寧に見ていきます
同じような感覚があるという人もいるのではないでしょうか?
今回は、細かく書いていただきましたが
このように状況は覚えているのですが
どうして自分がそう感じるのかが
ちゃんとは分からない
という事ってないですか?
その理由は
シンプルに物事を捉えられないからです
特に、相手が親となるとそうなる人は
とても多いです
ですので、客観的に
親のしていた事が
子供の感覚にどう作用するのかを
シンプルに見ていきます
見えてはいるけど、繋がっていないとこを繋げて
絵美さんの感覚の仕組みを解き明かしていきます
後半の動画では
やりたい事をやれない状態=足かせがある状態
自分がやりたいことへまっすぐに進むためには
今ある足かせを取らなければいけないのですが
その足かせをどうとるか??
というお話をさせて頂いてます