「判断基準」

のつづきから

こんな人の見方しか出来ない環境でした。

要は、

自分がどう思うかが中心なのです。

前回書いた母の父の見方でも

父が例え会社の話をしたとしても

自分の話をしたとしても

それが母にとって

どうでもいいと感じたら

その話は、スルーなのです。

母が、父に対して

自分に話をしてくれない

相談してくれない

と言っていたのは

自分が思った通りの形での

相談の仕方

父自身の話し

ではないと

それは、母にとって

話してくれた

ということにはならないのです。

めちゃくちゃ、ストライクゾーンが狭いですよね。

これは、子供たちにも同じような事を言っていました。

なので、

子供にしろ、父にしろ

母に対して

話したよね?

相談したよね?

と思っていたとしても

母が思い描いた通りのやり取りがなされていなければ

母には受け取ってもらえていなかったのです。

こんなことをしていたら

話しても無駄な人

という烙印を押されても

仕方ないですよね。

ただ、これは母だけにとどまらず

残念ながら

私も全く同じ思考になってしまいました。

人に対して、

『私には大事な話をしてくれない!!』

と思っていたのですが

その定義は

いきなり、あなたの重要な話をしろ!

というかなり強引なものでした。

でも、会話ってそういうものではないですよね。

それをしたいなら

そういう関係、つまり

お互いに大事な事を話しあえる関係性

だったり

相談しあえる関係性

が必要です。

その関係性になるには

信頼関係が築けないとまず無理です。

でも、私はそれを作らずに

いきなり、話せ!

ということをしていました。

こういうことろから見ても

人のことを

全く知らなかったです。

人が自分の本音を話せたり

自分の悩みを相談するには

何をするでしょうか?

恐らく、みなさんもされていると思いますが

この人はちゃんと話を聴いてくれるだろうか?

ということを探りますよね。

そのためには

何気ない当たり障りのない会話から始まって

まず、普通に会話が出来るのか?

を確かめると思います。

そこで、会話が続いて盛り上がれば

もっと話をしたいと思えます。

その後

少しずつ自分の話をして

どこまで聴いてくれるのか

ということを探るということをしますよね。

そのやり取りの中で

自己主張の強い相手や

自分の話を否定する相手に対しては

これ以上、話すのは止めよう。

と引くことが多いと思います。

自分の話を聴いて欲しいのに

聴き手がその話を奪って、

自分だったら。。

という持論を展開したり

昔、自分も。。

と、自身の経験談などを

話し始める相手は

出来るなら避けたいですよね。

まさに、私は

この両方をやっていました。

私の会話って

見直せば見直すほど

勉強すればするほどに

嫌われたり、避けられたりするやり方を

していましたし

人が話しを聴いて欲しいと感じさせる要素が

微塵も入っていなかったのです。

これでは、重要な事は

話してもらえないし

本音も聴けないし

相談にものれません。

そうなると

相手と関係を深めたり

仲良くしていく事

というのは

。。。。難しいですよね。

つづく